富士塚巡りとして、今回は川越の富士見町にある浅間神社(富士浅間神社)を訪れてきました。
小高い山に富士山の神様が祀られている富士浅間神社、富士塚ともいわれていますが、実はこの小山は古墳なんです!
川越にいくつかある古墳群のうちのひとつ、仙波古墳群の中にあり、もうひとつの大きな規模の愛宕神社の古墳と共に、母塚=富士浅間神社古墳、父塚=愛宕神社古墳と呼称されています。
今回は、富士塚を含めこの仙波古墳群の2大古墳を訪れてきましたので、ご紹介します!
●富士浅間神社(〒350-0033 埼玉県川越市富士見町21−1)
●愛宕神社(〒350-0033 埼玉県川越市富士見町33−1)
○仙波河岸史跡公園(〒350-0034 埼玉県川越市仙波町4丁目21−2)
【富士塚巡り】川越の富士見町にある浅間神社
いくつか富士塚についての記事を発信している私、ここでは川越の富士見町にありました富士浅間神社の富士塚を登頂してきましたので、訪問記として記します😀
富士塚とは
富士塚とは、富士山に登った時と同じようなご利益を得ることができる、パワースポットです。🗻
こちらの記事でも富士塚について簡単に解説しています↓↓
富士塚は、大概は神社の中にあり、富士山を模した小さな小山で、山頂には富士山の神様「コノハナサクヤヒメノミコト」が祀られていることが多いです。
川越の富士見町にある浅間神社
今回訪れた、川越の富士見町にあります浅間神社(富士浅間神社)も、「コノハナサクヤヒメノミコト」が祀られている神社の1つです。
江戸時代の中期に、関東一帯に浅間信仰が広まり、静岡の富士浅間神社本宮を分霊したこの富士見町の富士浅間神社にも、周辺の多くの村々が講をつくり、あつく信仰をしていたそうです。
この浅間神社の創建自体は、康平年間(1058~1065年)ごろで、源頼義が奥州征伐の際に分霊したことに始まり、浅間信仰が高まった、江戸時代後期の文政年間( 1818~ 1831年)から天保年間(1830~1844年)に、現在のかたちに整えられたとされています。
川越の富士見町の富士浅間神社 訪問記
ということで、鳥居をくぐっていざ富士浅間神社へ!
鳥居をくぐって進むと、小高い山が現れ、少々急な階段・・・
この上に社殿があるので登ります!
階段は37段ありました。
37段くらいなら、思ったよりも軽々と頂上まで登れました!
そして、コノハナサクヤヒメノミコトが祀られている社殿です。
コノハナサクヤヒメノミコト一夜にして妊娠し、生涯で3人の子どもに恵まれたことから、安産・子宝のご利益があるとされています。
ブログで紹介させていただくご挨拶と、我が子の益々の健康をお祈りしてきました💗
また、子宝の神、子育ての神ということから、この富士浅間神社でも、毎年7月13日の初山という祭礼の時には、新婚夫婦や幼児を連れたお母さんが訪れる催しがあるそうで、参拝客は暑さ次第に増す時頃、夏の健康を願いあんころ餅を買い求め、親戚などに配る習慣があるそうです。
近隣に住みながら、このような祭礼があることは知りませんでした!
今年はぜひ訪れてみたいです!
我が子はもう1歳過ぎてしまったから対象外かな・・・
もっと赤ちゃんとか新婚夫婦とかが訪れるのかな・・・
いや、でも気になるから、スケジュールにメモメモ✍
階段を上った社殿の周りで保育者と子どもたちがかくれんぼしたりしていて、とても微笑ましかったです!
その反面、ちょっとリサーチするにはアウェイ感があって、足早になってしまいました(笑)
川越の富士塚は古墳群のうちの1つだった!
富士塚というと、通常は富士山の溶岩でかたちとられた、ミニ富士山のような様相なのですが、ここまで富士見町の富士浅間神社を見てくると、ちょっとそのようなゴツゴツとした岩は見られなかったです。
それもそのはず、この小高い山。
なんと、古墳なんだそう!!
富士浅間神社 社殿のある小山の全体像
浅間神社古墳といい、円墳で高さ約5メートル、周囲約42メートルの古墳です。
仙波古墳群の1つで仙波古墳群の中では最大規模の古墳で、6世紀中ごろのものだと言われています。
この地域は、農業を生業とする人々の集落があったことから、その集落の指導者の墓としてつくられたものとされ、川越では、的場古墳群、南大塚古墳群、下小坂古墳群と、古墳群が数多く残っているみたいですね。
と、古墳であったということは・・・
富士塚ではない!?
いや、でも富士山の神様が頂上に祀られている小山ということから、私としては、富士塚と認定しましょう!!
溶岩で形造られた、THE富士塚って意外とレアですから。。。
川越の富士浅間神社は母塚で愛宕神社は父塚!
川越の富士見町の富士浅間神社のほかに、これもまた仙波古墳群の中で大きな規模である、愛宕神社の古墳も近くにありましたので、そちらへも行ってみました。
愛宕神社の古墳(愛宕神社古墳)は、高さ6メートル、周囲100メートルで、浅間神社古墳よりも少し大きな古墳ですね。
それは、国土地理院の色別標高図という地形図でもその円錐の様がくっきりと表れています。
(この地図では、おおよそ左半分一帯が台地となっており、明るい緑色ほど標高が高い表現になっています↓↓
中央の十字のところが愛宕神社古墳です。
このままでは、十字と地形が重なって見にくいためちょっとカーソルで動かしてみてください。
円墳がポッコリ表現されているのが分かります。)
こちらの愛宕神社の古墳も、村のリーダーのお墓だそうです。
仙波古墳群の中でも規模の大きい、この愛宕神社古墳と浅間神社古墳はそれぞれ、愛宕神社古墳が父塚、浅間神社古墳が母塚と呼称され、地域の方々に親しまれているそうです。
せっかくなので、愛宕神社にも参拝してみましょう。
こちらも、やや急な階段で、全部で38段(浅間神社より1段多い!)ありました。
ご祭神は、ホムスビノカミ(火産霊神)で、1593年に京都の愛宕山に鎮座している愛宕神社から分霊してきたものと言い伝えられています。
火伏の神、はしかの神として崇められており、7月の大祭(7月24日)の時は、はしかにかかっても早くよくなるようにと、母が子を抱っこして社殿櫓の下をくぐる習慣があるそうです。
愛宕神社も子どもにまつわる神社だったのですね。
富士浅間神社(7月24日)と愛宕神社(7月24日)の2週にわたって、子ども安泰を願うことができる、素敵な地域ですね!
江戸と川越を結ぶ新河岸川の河岸場があったとされる場所で、河岸場跡を見学できる木道が整備されて、とても雰囲気の良い公園でした!
これから河津桜が咲くそうで見ごろに期待ですね🌸
そして、この公園でも、富士浅間神社と別の保育園の子どもたちが遊んでいて、またまた子どもたちの元気な姿、やっと歩けるようになったくらいの小さな子がとことこ歩いている姿、などに癒されました♡
まとめ
今回は、富士塚と古墳という初めての組み合わせに出会えました!
古墳といえども、富士山も神様が祀られている浅間神社ですので、富士山に登った時と同じようなご利益を得ることができたはずです。
お近くの方は、ぜひ訪れてみてください!
こんな街中に富士塚!こんな街中に古墳!って、驚きですよね😄
↓↓こちらの記事でも変わった富士塚を紹介しているので、ぜひご覧になってください。
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